日本人にとっての「鬼」とは?

日本の代表的な鬼瓦を、実物とレプリカを合わせて50点を年代順に集めた展示。迫力もあり美的でもある。

京都府福知山市大江町に「日本の鬼の交流博物館」という施設がある。酒呑童子の鬼伝説で有名な大江山にちなみ、金属鉱山としても歴史のあるこの地の鉱山跡地に、町おこしのために建てられた酒呑童子の里というレクリエーションゾーンの一画にある。たまたま通りがかりに立ち寄ったのだが、しっかりとしたコンセプトで計画されたらしく、鬼についての知見を楽しむことができた。

アプローチにある大鬼瓦は、絵巻にみる巨大な酒呑童子を彷彿とさせるように、威風堂々の迫力があり、よく見かける模造モニュメント様の陳腐さが無く、本物特有のなかなかの味を持っている。おそらく伝統の鬼瓦づくりの匠の技が息づいているからだろうと思う。

館内には、鬼の仮面や人形や絵など鬼に関するさまざまな展示があり資料も充実していて、興味深く見学することができた。展示品は鬼に関する巾広い観点からさまざまなものが網羅されているのだが、鬼瓦展示品のボリュームのためか、私個人の好みからなのか、この博物館の展示物の中では「鬼瓦」が強く印象に残った。魔除けとしての願いから屋根の棟先に飾られた鬼、恐ろしくありながら人間を守ってくれる存在でもある鬼、そんな鬼瓦の「鬼」が私の考える鬼のイメージに最も近いからであるのだが、それはおそらく日本人の鬼に対する普遍的な意識ではなかろうかと思う。そもそも「鬼とは何者」と見学者に語りかけるような施設構成の同館は、酒呑童子の伝説をはじめ鬼伝説が3つも残っているこの地らしく、鬼という魔性のものをテーマとしつつも、あざとい興味本位の陳列館ではなく、鬼を畏怖しながらも近しく親しいものと見でいる気持ちが伝わってくるような博物館で、好感が持てた。

鬼瓦として鬼を屋根に飾るのは日本だけらしいが、外国の仮面などに多くあるように邪悪な魔物としてだけの見方と異なり、日本人の心情には鬼に対する畏敬や親近感のようなものがかなり多くあるように思える。慣用句としてよく言われる「こころを鬼にして」というフレーズは、鬼を根本的に悪と考えていたら出てこない言葉である。普段よく口にする鬼コーチ、仕事の鬼、鬼嫁などもあまり悪い意味には使われていないのではないだろうか。同館の「見学の手引き」という印刷物に「鬼に横道なきものを」という見出しの文があり、酒呑童子が源頼光に毒酒を飲まされ討たれた時に叫んだ言葉と伝えられるとして、“鬼は悪いことと知りつつ悪を行うことがないのに…”という意味の記述があり、これがこの交流博物館を運営している人々の鬼に対する心根のように感じられて共感を覚えた。

横道なことがまかり通る今の世界情勢の中にあって、日本人が、鬼に対して潜在的に持つ解釈と同じく、横道のない民族であって欲しいと思うのである。ちなみに館内に展示してあった写真から知ったのであるが、結構辺鄙な所に在るこの館にも天皇皇后両陛下の行幸があったらしく、少し驚いたが、何だか清々しい気持ちになった。