瀬戸内国際芸術祭2013-(小豆島にて思う)

ワン・ウェンチー《小豆島の光》。 地元の竹5000本で編み上げられた巨大なドーム。自然環境と響き合いながら、 巧みな造形力で細部にも力量感を感じる。
斉藤正人《猪鹿垣の島》。 島に残る獣除けの”猪鹿垣”の復旧を兼ね、魔除けのフィギュアなどを組み込んだ作品として再生。開墾に島民の実働支援が大活躍とか。意義深い。
小山真徳《讃州土産巡礼》。 小豆島と四国の霊場めぐりの道中で見た、拾った、写したものなどを構成、古い米屋家屋を舞台にして見せるインスタレーション作品。
ジ・ミン・ソブ《Bandagehouse》。 浜辺の小屋の風化した板目と白い布のコントラストが新鮮。屋内2階の展示も白布と透過光で構成、包帯を透した外光を思わせる。
柚木恵介《瀬戸の島景》。  古事記の国生み神話にある瀬戸の島々がテーマ。楠木で彫られたの島影一つ一つも、その集合も造形的。屋内展示が主体だが露光不足で撮影断念。
古川弓子《眺望絶佳》。 島の民話や滞在体験を基に、床の彫刻と壁面の絵画によるインスタレーションで、島の素顔への感慨を語る。彫刻は小豆島の陶芸技法で制作。
棚田のふもと、谷間の緑に囲まれ存在感を示す「小豆島の光」。夜はLED照明のイルミネーションで彩られる。
〈作品と舞台と〉
越後正志《火のないところに煙は立たず》。かつて盛んだったタバコ産業をテーマにした作品。
下は展示場所の廃校の講堂。
小豆島町民+山崎亮+studio-L《小豆島コミュニティアートプロジェクト》。8万の醤油たれ小瓶に光を透過した作品。
下は、展示場所の小豆島醤油工業組合の建物。

瀬戸内の島々を舞台にして開催されている「瀬戸内国際芸術祭2013」。その内の一つである小豆島に行ってきました。トテモ、トテモ、トテモ暑かった…。数ある開催島の中で、なぜ小豆島にしたのか、理由はいくつかあります。まず、一番大きな島(旧藩政の時代は二つの藩に分かれていたくらいの島)なので作品も多く、マイカーで回ることができたからです。この狙いはたいへん正解で、徒歩とバスだけで回っていたら、私の体力では熱中症になっていたと思われます。

もう一つの理由は、「現代美術の聖地=直島」といわれるようにイメージの固着した島ではなく、島の将来とアートとの関わりがどのように作用するかを見られる島、地場産業などある程度の潜在力を持つ島、公式ガイドブックで写真撮影OKの多い島などを選んだからです。時間の都合もあり、イベント関係は抜きにして作品を見て回るだけでしたが、立派な美術館で粛々と作品鑑賞することを強いられるのとは大違いで、会場受付のボランティアの方々だけではなく、時には出会った地の人々と気楽に話をしながら作品に触れられる心地よさが、小豆島にはありました。

この芸術祭の目的や性格からいっても、島の景観・伝統・文化・産業などとの接点を、どの辺りに持つかをテーマに、作家各自がクリエーションを展開することになっているのだと思います。そういう意味では、必然的にインスタレーション作品が多くなり、コラボレーションのオンパレードです。自然景観との、建物や空間との、町並との、伝承との、産物との、島の人々との、海外作家との…、作品はさまざまなコラボレーションによって完成度を高めている、もしくは、それに依ってこそ始めて成立しているように感じるものもありました。そしてそれは創造性の純度としては少し不満ではあっても、そのことはこういう試みの現段階では、とても大事なことのように思われます。

芸術には独自性が求められると共に、それを縛る定義もないため、いろいろな傾向の作品があるのは当然のことです。真摯なもの、独善的なもの、ユーモラスなもの、よりファインアートなもの、デザイン的なものなどがさまざまに在って、どれが作品として優れているかについては、個人の好みもありここでは触れないことにしますが、会場を巡りながら、別の面で感じたことを書きます。

作品が設えられている場所の多くは、既に使われなくなった建物や倉庫ですが、学校や幼稚園などの教育施設で十分使用に耐えるものも多く、作品が印象的であればあるほど、ほんの少し前までこの場所に溢れていたであろう歓声に想いが向かってしまうのでした。もとより、この芸術祭開催の狙いが、島の過疎化、高齢化によって失われた活力の復元を目指したものである限り、その現状を再確認しただけだと断じられれば、返す言葉がなくなりますが、しかしこの状況は、この瀬戸内の島々だけではなく、あまねく日本国中に存在する、日本の行く末をどうするかという大きな課題と同根なのです。そして、どうなればよいのかという結果だけは、困ったことに明白で、つまりはこの学校や幼稚園にかつてのように子供たちの元気な声が戻ってくることに尽きます。

そのためにはどうするか、そんな大問題をここで安易に述べることはとても出来ませんが、例えば、学問や技術を含めた広い意味でのクリエイティブな発想で、地場の特色を再構築し、一極集中ではなくそれぞれの地方が、日本のみならず世界に通用する魅力と活力を根付かせ、それを大事に育てパワーを拡大し、若い力を中心に老若男女が希望をもって住める、かつての循環型の町や村を取り戻す。などと通り一遍に言葉では書けても、ことはそんなに簡単には行きません。しかし、この芸術祭の作品制作や運営に当たって、アーティストのクリエイティブ発想に触発され、多くの地元の人々が関心をもって大きな協力を行ったことを聞くにつけ、そのコラボレーションの過程を通じ、次の何かが生み出される原動力が芽生えつつあるように感じるのは、希望的に過ぎるでしょうか。おそらく制作者が一番それに気付いているのではないかと思いたいのです。そういう面でこの芸術祭は意義深く、真摯に催しを計画・推進されている方々に敬意を表したいと思いますが、他の島々、他の開催会場ではどのような印象を受けるのかは分らなく、願わくばクリエイティブ愛好家だけが喜ぶような芸術祭であってほしくないと思います。また祭りを一過性に終わらせず、次への胎動を育て準備し蓄積するために3年は丁度よい期間であり、トリエンナーレ形式であることは、たいへん意味のあることだと思います。

クリエイティブな発想力が、間接的にしろ、人々や町の活力再生の足がかりになるのなら、私たちもデザインを通じて何らかの形で役立つことができるのではと感じてつつ、最後にひとこと、会場受付のボランティアの方々、たまたま会話を交わした島の方々から、親切で知的な印象を受けることを特記したいと思います。

大橋文男《しろいいえ》。 透ける白い布素材で構成された空間と、小豆島の印象断片を組み込んだ立体や映像のインスタレーション。作品に島の空気がそよぎ込む。
ジェームズ・ジャック《夕焼けハウス:言語が宿る家》。 かつて集落民の会合所だった建物に、人々の思いを封じ込めて再生。昔の石垣組と敷き石デザインの対比が生きる。
岸本真之《つぎつぎきんつぎ》。 島の人々の思い出がこもった陶磁器を島内から集め、金つぎ技法で結合したオブジェ。”想い”が集ったような不思議な魅力が…。
graf《小豆島のカタチラボ》。 13のテーマで小豆島にあるカタチを検証し全過程を展示。その細心で優れたデザイン思考には、島の次のはじまりを期待させる何かがある。
清水久和《オリーブのリーゼント》。 オリーブの実を思わせる白い顔に黒く力強いリーゼントを冠した造形。緑の木々にモノクロが映え、シンボリックな存在感を示す。
西沢立衛《福武ハウス/エントランスの造形》。 アジア・アート・プラットフォームとしてアジア諸地域の人々が恊働する舞台、福武ハウスのエントランスを飾る。