春の芽吹きの、小さな、しかし大きな変調。

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木々が芽吹き、雑木の山や森が新緑特有の柔らかいトーンで満たされる時期が、今年は1週間早かった。春の花も梅から始まり、桜、桃だけでなくいろいろな花の開花が互いに近接し、いわゆる百花撩乱の状況が例年より顕著であった。ただし花の勢いは弱かったようにも思える。気象も大雪が降ったり、逆に妙に暖かかったり異常だったので、まるで歪められた自然環境の中、その短いチャンスを伺い、植物たちがなんとか自分たちで出来る精一杯のいのちの息吹を表明しているような切実さ、健気さ、そして覚束なさを感じた。

私は四季のなかで特に春が好きだ。だから、春の季節の移ろいに目を向けることが多く、今までは微細な差異をおぼろげに感じることはあっても、それほど明瞭に変調を感じることはなかった。がしかし、今年はそれがハッキリと見えたような気がする。自然の摂理では、春は、生命ある物にとっては “いのちのふくらむ季節” であり、それが変調を見せているとすれば、ほんとうに危機はそこに迫っているのではないか…。

環境活動家として著名なセヴァン・カリス=スズキさんが,今年の2月に来日し、「Love is the Movement=愛とは行動すること」をテーマに、環境問題にこころを寄せる人々の支援で全国ツアーを行い、各地で草の根的な共感の輪を広げていった。1992年のリオデジャネイロ環境サミットで、当時12才の少女だった彼女が、切々と、しかも毅然とした面持ちで、世界の指導的立場にある大人たちに訴えた言葉,後に伝説のスピーチといわれた6分間に感応しなかった人は少なかったと思う。にも関わらず、それから20年余の現在、世界はどうなっているのか。一刻一刻と深刻さを増す地球環境の問題が伝えられる一方で、それにも増してさまざまなエゴに誘引される出来事で世界各地は満たされている。貧困ゆえの悲劇を聞くにつけ、現代社会の枠組みのなかでは、経済の問題はなおざりには出来ないとは思うものの、人間という存在は、富や権力が有れば有るほど際限もなくそれを求めてしまうものなのかと暗澹となる。そうした現状を見るにつけ、力のないちっぽけな自分に何ができるのかと、私たちは意気消沈する。

しかしセヴァンさんは云う、暖かい笑顔と共に決然とした眼差しでもって「私は希望を無くしてしてはいない。希望というエネルギーが変化を起こす」「愛の力は、希望と密接につながっている。希望は、大変な状況の中でこそ生まれてくる。希望を持つとはナイーブであるということではない。希望とはサバイバルであり、私たちは猛々しいほどの希望を持つ必要があると思う。希望に私たちは導いてもらう必要があり、愛と希望は、私たちを結びつけ、互いを出会わせてくれる。そして究極的には、持続可能な世界につながる道を示してくれるだろう」

日本が世界に誇ることができるものの一つ、里山の美しさ。人を始めとして環境を構成する万物の共生によって、綿々として引き継がれ、営々として維持されてきた景観、里山の美しさは、すべてが結びつき、繋がり、機能し、保たれている姿です。愛のある人ならそれを壊したいと思わないはずです。

愛の力で行動を続けるセヴァンさんは、草の根ムーブメントの繋がりが強大なパワーを持つことを信じています。スロームーブメントの連携が、ある時点で、地球と人のこころがより良い方向に向かうための境界点(しきい値)を越え、そのパワーが急激に増大し、社会のパラダイム、人が最も大切とすべきものが何かという価値基準を一変させることを願わずにはおれません。